社会人3年目の私が抱く、漠然とした危機感

どうも、うつみです。

また日が空いてしまいました。

今日はこんなテーマで書いてみます。

 

とある自己啓発本との出会い

先日、出張があり、時間ができたので駅の本屋さんにて前から気になっていた本を買ってみました。

タイトルは「ブランド人になれ! 会社の奴隷解放宣言 」。筆者はあのよく炎上している田端信太郎さんだ。

 

私が田端さんと出会ったのは、大学生の時。

当時LINE株式会社で働いていた田端さんが大学の授業にて講演を行なったを聞きに行った。

その時からすごいカリスマ性を感じており、密かに各種SNSでフォローもさせてもらっている。

そんな彼が書いたこの本を販売から半年経ってようやく読むことになった。

 

読んでみて感じる、自分のブランド力のなさ

社会人になり3年が過ぎようとしている。

「とりあえず3年」の3年だ。

入社当時から、自分は他の人ができない、何か特別なことをしたいという思いを胸に仕事してきた。

そして、「こんなことをしたい!」と飲み会の席などで言ってきた。

 

実際どうだろうか。何一つできていない。

来る日も来る日も、自分のデスクで目の前の作業に明け暮れる毎日だ。

 

今回「ブランド人になれ」を読んで、このままでは本当にまずいと改めて実感した。

ここまでの危機感を抱いたのは久々かもしれない。

このままではまずいと思ったので、こうしてアウトプット作業を再開した次第である。

 

会社が若手人材を使えていないのは大きな問題

会社の同期と飲むと、大抵会社のグチが始まる。

先輩への不満だったり、経営方針への異論などである。

若手は往々にして、心の中で強く明確な反骨心を抱いている。

それを燻らせながら、目の前の与えられた仕事に取り組んでいるのだ。

私から言わせてみれば、この「若手エネルギー」を会社で使いこなせていないのは大問題なのではないかと思う。

 

若手エネルギーはすごい。

背負うものもなければ、既存事業での成功方程式もない。

言い換えれば、今までの枠にとらわれず、また失敗を恐れずなんでもチャレンジできてしまう。

これはたとえ先輩社員がいくらすごい技術力を持っていようが真似できない「強み」なのではないかと思う。

この力を有効活用できる会社こそが、これからの時代を生き残ることができるのではないかと思う。

 

ところで経営者の方々はどう思っているのだろうか?

私は、同じ意見を持っているのではないかと思う。

若手の意見を使ってみたいと思いはあるが、色々な制約で結局実現に至っていないケースが多々あるのではないかと思っている。

そのくせ「最近の若手は覇気がない」だの「もっと積極的に意見を出して欲しい」だの裏で言っているのではないだろうか。

どちらかが歩み寄らないとこの経営層&若手の歯車は回り始めないのかと思う。

逆にうまく合致してしまえば、あとはすごい勢いで回り出すだろう。

ならば、こちらから歩み寄ってみようではないか。

 

どうなりたいのか

私が思い描く理想の姿はこうだ。

「会社の若手社員の代表として広く認知されること。経営層からも目をつけられ、若い意見を聞きたいと思った時に白羽の矢を立てられること」

こうなる為には、多少なりとも尖ってなくてはならない。それが正しい方向だろうが間違った方向だろうが、褒められようが怒られようが、兎にも角にも目立つことが大切だろう。

まず、何ができるか考えた時に、とりあえずこのブログで書いているようなことを社内の掲示板に書き込んだ。

この意図としては、私という人材を少しでも多くの知ってもらう為というより、むしろ宣言してしまうことで自らの退路を断ちたいという思いがあったからだ。

一度宣言してしまえば、何はともあれ動かざるを得なくなる。

若手の私には背負うものなどない為、いくらでもチャレンジするチャンスがある。これを活かさない手はない。

多少、火傷を負うかもわからないが、まあどうってことはない。喜んで負ってみせよう。

 

夢の実現の為に、先の先を読む

なんとなくの方向性は上に書いた通り。では、どう実行していくか。

「〇〇をしたい!」といっても、残念ながら一端の若造が喚き散らしたところで何も変わりはしないだろう。

そこで私が考えたプランはこうだ。

・水面下でプロジェクトをはじめ、既成事実を作ってしまう

・上の人から見つけてもらうのではなく、彼らの視野に入りこむ

・「必要とされる人材になってチャンスを待つ」のではなく、自分が適任の仕事を提案する

 

ミソとしては、受け身の状態から脱却し、主体的に自らの居場所を作り上げていくことである。

これらが実践できれば、自分のやりたいことが会社内でやりたい放題だろう。

少しはブランド人に近づけるかもしれない。

 

私は油になりたい

最後に、この言葉で締めくくろう。

「私は油になりたい」

何も、ベタベタになりたいわけじゃない。

「会社の歯車ではなく潤滑油になりたい」という話だ。

よく「会社の歯車として働く」という表現を聞く。

確かにこれは全員で一つの「企業」というカラクリを動かすイメージとしては正しいかもしれない。

しかし、どんな大きな歯車でも、潤滑油を差さなければやがて錆びついて止まってしまう。

若手はこの大きな歯車を回すための潤滑油に慣れると信じている。

既存のやり方で凝り固まった会社の回転速度をあげるのには、新しい視点からの意見が必要だ。

間違っていたっていい、トンチンカンでも構わない。

なんらかの刺激を与えるだけで、案外スムーズに世の中は回り始めるようにできている。

 

「ブランド人になれ」にも書かれているが、よく「金魚鉢理論」というのが取り上げられる。

アクリル板を入れて半分のエリアしか行けないようになっている水槽に入れられた金魚は、半分だけでしか生活できないことを記憶してしまうらしい。

そして、ある日アクリル板を取り除いて全体に泳げるようになったとしても、元の半分に留まってしまうそうだ。

 

ここに何も知らない新しい金魚を入れて全体を泳がせると、元いた金魚も「全体を泳げるのだ」初めて把握し、ようやく泳ぎ始めるらしい。

この半分に区切られた水槽こそが、成功体験に縛られた会社であり、新しい金魚は新入社員ということなのだそうだ。

新しい金魚の泳ぎが潤滑油となり、水槽全体の金魚に影響を与えるのだ。

新しい金魚には今までのやり方を押し付けるのではなく、色々やらせてみることで、組織全体が活性化するという含蓄がこの話には含まれている。

私はこの金魚になりたい。

しかも、アクリル板の向こう側は愚か、水面からも飛び出して、水の外にも行けるんだぞって姿をみせてみたい。

水の外では死んでしまうだろうって?

そんなことをいつまでも言っているから、いつまで経っても常識を覆すような発明をできないんだろうなあ。

 

ではまた。

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